AVAILABLE NOWHEREは、2018年2月にお亡くなりになられたJudy Blame ( ジュディ・ブレイム ) の意志を受け継ぎ、仲間のDave Baby ( デイブ・ベイビー) らが彼の精神を後世に残そうと20AWシーズンよりスタートしたブランドです。ご存知ではない方もいらっしゃると思いますので触れておきますと、ジュディは80年代にUKでスタイリスト、ジュエリー・デザイナー、そしてアーティストとして活躍。DIY精神で拾ってきたゴミを組み合わせて一点物のアクセサリーなどを作っていました。要らなくなった物にまた新しい価値を与えるそのクリエーションは、様々な人々に多大な影響を与え続けてきました。本作は、当時から活動を共にしていたUK出身のフォトグラファーMark Lebon ( マーク・ルボン ) が、80年代にTATLER magazineの為にジュディをシューティングした際の写真が元ネタになっています。その際の写真をジュディが、HEAVYというワードと共にレンガにコラージュをしマークへプレゼントした作品で、今回のTシャツプリントのデザインとして採用したのだそうです。マークは学生時代から大柄で " HEAVY " というあだ名を付けられていたという逸話が、ジュディがブリックアートを製作したきっかけだそうです。それからずっとマークのスタジオにはこの作品が飾られている思い出のアートとの事です。
2021年10月13日入荷商品AVAILABLE NOWHERE公式通販 アヴェイラブル ノーウェア正規取扱店
マネキン着用サイズ : L
マネキンサイズ
身長182cm、バスト90cm、ウエスト76cm、ヒップ88cm、肩巾53cm、袖丈63cm
UKのスタイリスト、ジュエリー・デザイナー、そしてアーティストとして一つのカルチャーを築き、現在でも影響を与え続けているクリエーターJUDY BLAME ( ジュディ・ブレイム )。以前は、JUDY BLAME自身の名前を冠したブランド名でのリリースが主でしたが、20AWよりブランド名を " AVAILABLE NOWHERE " としています。
●AVAILABLE NOWHEREの最新コレクションから、HEAVY T-SHIRTのご紹介です。
●本アートワークは、ジュディ・ブレイムがマーク・ルボンにプレゼントした作品をプリントしています。
●マーク・ルボンは、80年代のUKのクリエーティブ集団BUFFALOのメンバーであり、フォトグラファーとして、i-DやFACE、VOGUEで活躍した人物です。世界的なフォトグラファーであるタイロン・ルボンは、マーク・ルボンの息子です。
●マーク・ルボンが大男であった事から " HEAVY " と度々言われていたそうです。それは全寮制のボーディングスクールにいる時からだそうです。
●このストーリーは、ジュディ・ブレイムも勿論認知していたそうです。
●その後、マーク・ルボンがフォトグラファーとなり、1985年11月、TATLER MAGAZINEでジュディ・ブレイムを撮影する事になります。
●その際、撮影したジュディ・ブレイムの肖像写真と " HEAVY " というワード付きのブリックアート作品を、ジュディ・ブレイムがマークにプレゼントしたそうです。プレゼントされた作品は、その時からずっとマーク・ルボンのスタジオに置いてあるそうです。
●本アイテムは、100%コットンの天竺生地を用い製作されています。
●本アイテムは、インサイドアウトデザインです。
ジュディ・ブレイムは、1960年2月12日生まれ、2018年2月19日没。本名はクリス・バーンズです。ジュディ・ブレイムの名付け親は、友人であるファッションデザイナーのアントニー・プライスと、モデル・美容師だったスカーレット・キャノンです。1980年当時、ジュディ・ブレイムが20歳の頃、彼はコートチェッカーとしてクラブで働いていましたが、お客さんから預かったコートなどを他のお客さんに着せていたり ( くしくもスタイリストという後の仕事に役立ったとも言える? ) 、この他にも事件とも言えるような事をしていました。当時の友人が思いつきで何となく彼をJUDY ( このJUDYは女優のジュディ・ガーランドが由来 ) と呼ぶようにはなってはいましたが、お騒がせを色々とやっていたので、皆、JUDYのせいだ! と言うようになり、「 せいだ! 」 = 「 BLAME 」 をJUDYにつけてJUDY BLAMEと呼ぶようになりました。
その後、アクセサリー製作をし始めるのは1981年以降です。当時は、お金もないのでUKらしくD.I.Y.精神で廃材やおもちゃの包装、お菓子のゴミ、海岸のゴミなどを集めて製作していました。D.I.Y.精神で始めたこのアクセサリー作りは、後々革命的になります。マルセル・デュシャンが便器に「 泉 」と名付けたように、、、ピーター・サヴィルが超新星爆発の波形をレコードジャケットのアートワークにしたように、、、JUDYも捨てられて本来の意味を失ったものに別の命を与えてアートに昇華させ、新たな美意識や価値観を作り出し評価を得た人物です。
生前、ジュディ・ブレイムはインタビューで 「 私はダイヤモンドが安全ピンより優れているとは思いません。私にとってそれはただの物や形です。すべてに美しさを感じています 」。と語っています。
1986年に、シューデザイナーのジョン・ムーアが主導となりスタートした、The House of Beauty and Cultureにジュディ・ブレイムは参加しました。靴をジョン・ムーア、服をクリストファー・ネメス、アクセサリーをジュディ・ブレイムが担当。当時のメンバーはジョン・ムーア、クリストファー・ネメス、ジュディ・ブレイム、デイブ・ベイビー、スカーレット・キャノン、アラン・マクドナルド、リチャード・トリー等です。
The House of Beauty and Cultureは、セレクトショップの元祖ともいえる存在であり、話題のスポットとして、当時ボーイ・ジョージやリー・バウリー、デレク・ジャーマン、マルタン・マルジェラ等が通っていました。
その後、The House of Beauty and Cultureは三年ほどで自然消滅し、ジュディ・ブレイムはスタイリストとして活躍します。雑誌としては、i-D MGAZINEやFACE MAGAZINEで活躍。この二つはその雑誌が存在する前と後では区切りが出来る程、影響力のあるファッション・カルチャー誌と言われています。特にテリー・ジョーンズが創設したi-D MGAZINEは、ストリートスナップの元祖であり、世界初の絵文字を生み出しました。i-Dのロゴを縦にすると、片方の目を閉じた人の顔になっており、故にi-Dのカバーのモデルは、必ずウインクや手で片方の目を隠したポージングとなっています。ジュディ・ブレイムは、雑誌のスタイリングの他、ボーイ・ジョージ、ビョーク、ネナ・チェリー、マッシヴ・アタック等のミュージシャンのスタイリング、コレクションデザイナー達とのコラボレーションも精力的に行っていきます。
ストリートハントや、ミックススタイリング ( ヴィンテージやミリタリーウエアとメゾンブランドのミックス。当時は御法度でした ) を初めて行ったと言われるスタイリストであるレイ・ペトリが結成した、バッファローというクリエイターチームともジュディ・ブレイムは親交があり、当時も今も皆にリスペクトされていた人物です。
現在でも、世界中で活躍している多くの超有名デザイナー達は、ジュディ・ブレイムをフェイバリットクリエーターに挙げています。例えば、Diorのメンズダイレクターを務めるキム・ジョーンズにとって、ジュディ・ブレイムはHEROの一人であり、Louis Vuitton時代も現在のDior時代もジュディ・ブレイムとコラボレートしアイテムをリリースしています。
ジュディ・ブレイムを明確に表現した言葉があるのでご紹介します。
SHOWstudioの写真家兼ディレクターであるニック・ナイトは、ジュディ・ブレイムについて、「 常にユニークであり、常に弱者のチャンピオンであり、常に反体制であり、常に刺激的で、非常に才能があり、常に100%。素晴らしい 」。と語っています。
FABRIC : Cotton100%
COLOR : Black
COUNTRY OF ORIGIN : Japan