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Yasuhiro Ishimoto KATSURA SEAM SWEAT BLACK
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NEW Yasuhiro Ishimoto KATSURA SEAM SWEAT BLACK
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Yasuhiro Ishimoto KATSURA SEAM SWEAT BLACK

Yasuhiro Ishimoto KATSURA SEAM SWEAT BLACK

ALMOSTBLACK

2025 Autumn and Winter Collection

30,800 yen (Inc.Tax)
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SOLD OUT

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一度のコラボレーションにつき、必ず2シーズンに渡ってデザイナー中嶋氏のアンテナに掛かったアーティストをフックアップし、アートとファッションとの融合を具現化したアイテムを展開しているALMOSTBLACK2025年秋冬は、写真家・石元泰博 ( 1921-2012 ) とのコラボレーションを実現しています。本コラボレーションにおいて、洋服のデザインをどう落とし込むべきかを考えた時、意識したのは石元氏の生い立ちの視点から物事を見るということ、だったそうです。同氏はアメリカのサンフランシスコに生まれ、3歳の頃に来日。17歳で再び渡米し、太平洋戦争を挟んでアメリカと日本を往来する思春期を過ごしています。戦後にシカゴのインスティテュート・オブ・デザイン ( 通称、ニュー・バウハウスで写真技法や造形感覚を学び、その教育を作品に強く反映した石元氏はその視点で建築物 ( 京都の桂離宮やシカゴの高層ビル ) を対象に構図の中で線や面を強調するスタイルを確立しました。尚、日本で活動をしていくにあたり桂離宮や伊勢神宮、曼茶羅などをモチーフとして選び撮っていったのは、自分の内にある「日本的」なるものへの関心を外へと向けていったことの現れともいえます。そして25AWコレクションでは、石元泰博の平面的な造形力が際立った作品から着想を得て、和服に寄せた平面的かつ直線的なパターンを採用。また桂離宮や伊勢神宮の作品における造形の輪郭をトップスやシャツのパターンで表現したり、石元氏が好んで使用した4x5インチの大判カメラ ( =シノゴ ) の比率もデザインに落とし込んでいます。本アイテムではALMOSTBLACKらしいリラックス感のあるシルエットを特徴とし、素材は裏毛のスウェット地を採用。また前身頃には桂離宮の石畳からインスパイアされた切り替えを施している点に是非ご注目ください。シンプルなデザイン性ながらも石元氏の作品に見られる直線的な構図を内に秘めたアイテムとなっております。


マネキン着用サイズ : 2
マネキンサイズ
身長182cm、バスト90cm、ウエスト76cm、ヒップ88cm、肩巾53cm、袖丈63cm、頭回り59cm

ALMOSTBLACK公式通販 オールモストブラック正規取扱店

マネキン着用サイズ : 2
マネキンサイズ
身長182cm、バスト90cm、ウエスト76cm、ヒップ88cm、肩巾53cm、袖丈63cm、頭回り59cm

RAF SIMONS STUDIOで経験を積んだ中嶋峻太氏が手掛けるメンズブランドALMOSTBLACK ( オールモストブラック ) のAW25コレクションのご紹介です。

今期は日米を行き来しながら世界的に活躍し、写真界のみならず建築やデザイン、美術など戦後日本の芸術界に大きな影響を与えた写真家である石元泰博氏とのコラボレーションです。
バウハウスの教育理念を引き継ぐシカゴ・インスティテュート・オブ・デザインにて学んだ石元泰博氏の作品は造形写真とも呼ばれ、厳格な画面構成と個性的な造形意識から国際的に高い評価を得ています。

石元泰博氏について様々な方がそれぞれの表現をしていますが、わかりやすく記載されている言葉をご紹介します。

“ 二国のアイデンティティーを持った石元の、いかなる被写体も徹底して凝視し、厳格な構図の中につかみ取る孤高なスタイルは、レンズを唯一の「国境」とする「異国人」的な眼とも評された ”
高知県立美術館 学芸員 [朝倉芽生]
朝日新聞 「被写体を凝視 写真家の眼 石元泰博セルフポートレート」より

“ 日常にアンテナをはり、自然の成り行きと、とことん物事を追求することを大切にする、それが石元の撮影スタイルなのである ”
高知県立美術館学芸課チーフ兼石元泰博フォトセンター長代理 [影山千夏]
コラム うつりゆくもの 変わりゆくもの 石元泰博の世界より

●本アイテムは100%コットンの裏毛スウェット生地を用い製作されています。
●前身頃の切り替えは石元泰博氏の代表作である桂離宮シリーズの石畳を表現しています。

以下AW25ブランドオフィシャルリリースです。
今シーズンは写真家・石元泰博 ( 1921-2012 ) とのコラボレーションです。石元泰博はアメリカ・サンフランシスコに生まれ、3歳の頃に来日。17歳で再び渡米し、太平洋戦争を挟んでアメリカと日本を往来する思春期を過ごしています。日本で活動をしていくにあたり桂離宮や伊勢神宮、曼茶羅などをモチーフとして選び取っていったのは、自分の内にある「日本的」なるものへの関心を外へと向けていったことの現れともいえます。他方、デザイナーの中嶋もパリへの留学経験を通じて外からの視点を得て、デザイナーとして「日本的」なものを探求してきました。そんな共通点から今シーズンのコレクションへと繋がっています。25AWコレクションでは、石元泰博の平面的な造形力が際立った作品から着想を得て、和服に寄せた平面的かつ直線的なパターンを採用しています。また桂離宮や伊勢神宮の作品における造形の輪郭をトップスやシャツのパターンで表現。石元が好んで使用した4x5インチの大判カメラ ( =シノゴ ) の比率もデザインに落とし込んでいます。

石元泰博氏の経歴
1921 : 父・石元藤馬、母・美根の長男としてサンフランシスコで誕生。両親は高知から渡米した農業移民。誕生日は6月14日
1925 : 両親の郷里である高知に移住
1931 : 菓子の景品で当たったおもちゃのボックス・カメラで初めて写真を撮る
1939 : 高知の農業高校を出て近代農法を学ぶため単身渡米、カリフォルニアに住む
1942 : 前年12月8日の真珠湾攻撃をうけ、アマチ収容所に収監される
1944 : 収容所から解放され、移住を許可されたシカゴに行き、シルクスクリーン会社で働き始める
1947 : アメリカで成功した写真家のハリー・K・シゲタ ( 重田欣二 ) の紹介でシカゴの写真クラブに入会。ラースロー・モホイ=ナジらの著作に触れ、モダニズム/アヴァンギャルドの写真に開眼
1948 : シゲタの勧めでシカゴのインスティテュート・オブ・デザイン ( 通称ニュー・バウハウス・後にイリノイ工科大学に併合 ) に入学
1950 : 写真家のハリー・キャラハンに学ぶ。キャラハンは街に出て人を撮る事を推奨し、石元は子供を中心に街の人々の撮影に取り組んだ
1951 : ライフ誌の「ヤング・フォトグラファーズ・コンテスト」ピクチャー・ストーリー部門でサード・オノラブル・メンションに入選
1952 : シカゴを訪れた建築評論家の浜口隆一と出会う。インスティテュート・オブ・デザイン写真学科を卒業
1953 : 来日し、1958年まで滞在。桂離宮を初訪問し敷石を撮影。丹下健三はじめ建築、デザイン、美術界の要人らと出会う
1954 : 京都・俵屋旅館に1ヶ月に渡り滞在し桂離宮を撮影
1955 : 前年に開校した桑沢デザイン研究所にて創設者の桑沢洋子の依頼で構成と写真を教える
1956 : 草月流の華道家であった川又滋子と10月26日に結婚。滋子は制作協力者として重要な役割を果たしていく
1958 : 初の写真集『ある日ある所』発刊。滋子と共にシカゴに戻り3年間滞在
1960 : 『KATSURA—日本建築における伝統と創造』発刊
1961 : 再来日。神奈川県藤沢市の写真家・影山光洋宅の離れに住む。本年以降、日本を拠点として活動
1962 : 東京綜合写真専門学校教授に就任 ( 1969年まで )
1964 : ニューヨーク万国博覧会日本館にて「日本の産業」をテーマにした写真壁画を制作
1966 : 新設の東京造形大学写真学科の主任教授に就任 ( 1972年まで )
1969 : 日本国籍取得。『シカゴ、シカゴ』発刊
1970 : 写真集『シカゴ、シカゴ』で毎日芸術賞を受賞
1971 : 写真編集者・山岸章二企画による写真全集<映像の現代>第8巻として『都市』発刊
1972 : 父・石元藤馬逝去。この年、東京造形大学写真学科の主任教授を退任し全ての教職から離れる
1973 : 京都・東寺の国宝、伝信言院曼荼羅を2週間かけて撮影
1977 : 限定500部にて『伝真言院両界曼荼羅:教王護国寺蔵』発刊
1978 : 伝真言院両界曼荼羅の展覧会と写真集で芸術選奨文部大臣賞、日本写真協会年度賞、「世界で最も美しい本」金賞を受賞。『国東紀行』発刊
1980 : クロード・モネの大作「睡蓮」を撮影した『複製写真 モネ 「睡蓮」』が国立国際美術館に新規収蔵、展示される
1981 : 大修復を終えた桂離宮をカラーとモノクロで再び撮影
1982 : 『湖国の十一面観音』発刊
1983 : 『シカゴ、シカゴ その2』発刊。紫綬褒章を受賞
1984 : 母・美根逝去。20×24インチの大型ポラロイドカメラで制作する「スーパー・イメージの世界」に参加
1985 : 日本写真家協会展金賞、銀賞受賞
1987 : この頃から「あき缶」、「雪のあしあと」などのシリーズを撮影
1988 : 『NAHA』発刊
1990 : 日本写真協会年度賞受賞
1992 : 日本写真協会功労賞受賞
1993 : 勲四等旭日小綬章を受章
1994 : アルル国際写真フェスティバルでマスター・オブ・フォトグラフィー受賞。アルル名誉市民賞を受賞
1995 : 『伊勢神宮』発刊
1996 : 文化功労者に選ばれる。桑沢特別賞を受賞
1997 : ヤング・ポートフォリオ展審査員を細江英公、篠山紀信と共に務める
2002 : この頃、ノーファインダーによる方法を中心に渋谷、新宿で道行く人々を撮影し始める。シブヤ、シブヤシリーズ
2004 : ニューヨーク滞在中に脳梗塞に罹る
2005 : 紺綬褒章を受章。高知県文化賞を受章
2006 : 作品35,000点を高知県に寄贈。パートナーであった滋子夫人逝去
2007 : 『シブヤ、シブヤ』発刊
2009 : 心筋梗塞で倒れる
2010 : 桂離宮の新旧の撮影を全編モノクロでまとめた『桂離宮』発刊
2011 : 曼荼羅作品による写真集『両界曼荼羅―東寺蔵 国宝「伝真言院両界曼荼羅」の世界』発刊
2012 : 逝去。享年90歳。正四位と旭日重光翔が追贈される
2013 : 高知県立美術館に「石元泰博フォトセンター」が開設される

20240717

FABRIC : Cotton100%
COLOR : Black
COUNTRY OF ORIGIN : Japan